・・・・・諸説あるシンギングボウルの歴史ですが、こちらはネパールの私のシンギングボウルの師匠サンタ・ラトナ・シャキア氏(以降サンタ氏)の説明に基づき、さらに現地ネパール・インド・チベットのヒマラヤ山脈地方を何度も旅した私の考えも加えて説明しております。
現地では今なおシャーマニズムの文化が色濃く残っており受け継がれています。それらを実際に体験した私もシャーマニズムの土台の上にチベットの土着宗教であるボン教や現代に繋がるチベット密教に引き継がれていると考えています。以下説明
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ヒマラヤ・チベットの地で三千年前から使用されているシンギングボウルは村々のシャーマンによって様々な病気や災いを癒やし、治療する為の神聖な法具として人びとを救ってきました。
当時はもちろん病院も薬もない時代で頼りとされていたのはその土地その土地の伝統あるシャーマンたちでした。
シャーマンはその土地で採れる植物や鉱物に精通し、薬効などの知識を持ちそれらを調合し民間療法として人々の肉体的、そして精神的な病にも対応していたと考えられています。自然界に存在する様々な神とコンタクトを取り呪術的でアニミズムであったシャーマンたち。。
シンギングボウルの起源はそんなシャーマンたちの使うボウル(BOWL)器として使用されていたと言われています。
ボウルにお水や食事を入れ患者に与えることでその金属成分を体に取り入れデトックスを促したのでしょう。食事の後にはその器を舐めさせてきれいにし洗うことはしなかったと言われています。
ヒマラヤ山脈の様々な鉱物を採取し調合し金属を作っていた錬金術師のようなシャーマンたちですから病気や症状によって金属の配合を変えて様々な種類のボウル(器)を用いていたと考えられています。
3000年前ですから病院もなければ現代的な薬もない時代・・・そして仏教が興るはるか昔のことです。
現在のネパールにあるルンビニ生まれの王子シッダールタは出家し修行したのちインドのブッタガヤで悟りを開きブッタ仏陀となりました。ブッタの死後に弟子たちによって生まれた仏教はその後にヒマラヤ山脈を越えて現地の土着宗教であるボン教と交じり合い密教色の強いチベット仏教(チベット密教)が生まれ育ちました
チベット仏教に取り入れられたシンギングボウル(チベットではドニパトロ)はその美しい音色と倍音する波動によって心身を落ち着かせ深い瞑想に入っていくアイテムとして、またチベットのラマ教の高僧が神に捧げる儀式に使う仏具として使用されてきました。
仏教とともに各国へと伝えられミャンマーやタイなどの東南アジア、中国や日本にも伝わっています。日本のお仏壇のおりんもお寺にある大きなおりんもシンギングボウルがルーツにあると考えられています。
長い間ほとんどの人が知ることもなくヒマラヤ山脈一帯をメインに仏教に携わる人の間でしか知られることのなかったシンギングボウルですが、
1950年代後半から欧米諸国のヒッピーたちがインドやネパール、チベットなどを訪れるようになりその深淵なるYOGAやヒンドゥー教、チベット密教の文化世界観に魅了されるとともにシンギングボウルも世界各地へと伝えられていきました。
その後徐々に生産量も増えインターネットの普及とともに世界中へとシンギングボウルが広がりを見せております
私が世界を初めて旅した20年前にはまだまだ日本で知る人もほとんどいないシンギングボウルでしたが少しずつ広がってきているのを実感しております。
現在ではその効果が認められ世界中へと広がりをみせ、多くの人びとを癒やすヒーリングアイテムとして広まっています。